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化粧道具アーカイブ

日本と西洋、独自に発展してきた化粧やよそおいの文化。そこで用いられる道具も化粧法や美意識によって、さまざまな形に発展してきました。ポーラ文化研究所の所蔵品のなかから、代表的な化粧道具をご紹介します。

日本の化粧道具

資料検索システムに収録している「日本の化粧道具134件から抜粋してご紹介しています。

平安時代に生まれたお歯黒や眉化粧などの伝統的な化粧法は、江戸時代に完成しました。一般的には、ぬか袋や洗粉で洗顔後、お歯黒をつけ、化粧油や化粧水で下地を作り白粉をつけ、眉を描いて紅を引くというものです。

日本の髪型(結髪雛型)

資料検索システムに収録している「日本の髪型(結髪雛型)49件から抜粋してご紹介しています。

平安時代以降から室町時代末期まで、上流階級の助成の髪型は長く垂らした垂髪(すいはつ)でした。しかし、戦乱の時代に庶民は屋外での活動も多く、髪のあしらいにも工夫が凝らされるようになります。そして、江戸時代にはいわゆる日本髪が完成され、華やかな髪型が生み出されていきました。

日本の髪飾り

資料検索システムに収録している「日本の髪飾り10件から抜粋してご紹介しています。

櫛や簪といった髪飾りは、髷が結われるようになってから急速に発達したといわれています。鼈甲(べっこう)や象牙などの高価な素材や、豪華な蒔絵を施したものが女性たちの髪を美しく飾りました。明治時代になると小さくなった髪型にあわせて髪飾りも小ぶりになり、日本髪から洋髪への変化につれて姿を変えていきます。

ポーラ

資料検索システムに収録している「ポーラ30件から抜粋してご紹介しています。

ポーラ・オルビスグループの歴史は、昭和4(1929)年に始まります。名古屋で化粧品製造研究に着手していた創業者の鈴木忍が十数種類の化粧品を完成したのがはじまりです。創業から現在に至るまで、女性の美しさへのニーズやライフスタイルを見つめながら、化粧品事業を中心に常に新しい価値を提供しています。

西洋の化粧道具

資料検索システムに収録している「西洋の化粧道具337件から抜粋してご紹介しています。

西洋の化粧道具にも日本と同様に美しく飾られたものが数多く残っています。一連の化粧セットなどには、それぞれの時代に好まれた装飾が施されました。近代には、手作りの化粧料からメーカーが生産する化粧品へと、販売や流通の形態が変化し、さまざまなパッケージデザインが生み出されていきます。

西洋の髪型(結髪雛型)

資料検索システムに収録している「西洋の髪型(結髪雛型)22件から抜粋してご紹介しています。

18世紀、ロココ文化が花開いたフランス宮廷を中心に、身のまわりのできごとを題材にした巨大な奇抜な髪型が流行しました。その後社会革命、産業革命を経て、20世紀に入り女性の活動の場が広がるとともに、髪型はより実用的、活動的なスタイルへと変化していきました。

西洋の髪飾り

資料検索システムに収録している「西洋の髪飾り43件から抜粋してご紹介しています。

19世紀にかけて複雑で次第に巨大化していった髪型の流行にあわせて、櫛やリボン、花などの髪飾りにも工夫が凝らされます。金銀、鼈甲(べっこう)、貝、骨、貴石、宝石などの素材や透かし彫り、象嵌(ぞうがん)といった技法にはそれぞれの時代の好みがあらわれています。

西洋の版画

資料検索システムに収録している「西洋の版画191件から抜粋してご紹介しています。

写真がなかった時代、本や雑誌の挿絵には版画が用いられていました。「ファッション・プレート」とよばれる、高級女性雑誌に収められた服飾版画は、最新流行のよそおいを読者に伝えました。一枚の版画としても完成度が高いため、雑誌本体から独立して流通することも多くあります。

古代

資料検索システムに収録している「古代31件から抜粋してご紹介しています。

人類が初めて化粧をしたのは、旧石器時代ともいわれています。考古学の研究や発見によって、少なくとも今から5000年前、古代エジプト第一王朝期(紀元前3000年頃)の墓で発見された化粧容器には動物性脂肪と樹脂、香料からなる軟膏が残っていたとされています。