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美白の化粧文化史

 

第10回 ヒートアップする、白い肌熱。

前回は“白い肌”を美しいとする文化が、今から二千年も前の古代ローマにあったことをお伝えしました。今回は、ずっと時間を戻して17世紀ヨーロッパ、太陽王ルイ14世がベルサイユ宮殿を建てたまさに豪華な宮廷文化最盛期の頃のお話です。フランス発の最新ファッションや髪型、化粧といったトレンドが瞬く間にヨーロッパ中に広まった時代でした。

貴族たちは、女性だけでなく、男性もリボンやレースをふんだんに使ったゴージャスな衣服を身にまとい、化粧もしていました。メークでとりわけ強調されたのが、“白い肌”。白い肌になるためなら手間もお金も惜しまなかった様子。ではそれがどんな美白だったのかというと?

まずはスキンケア。ルイ14世の薬剤師が書いたとされる本には、顔を白くする化粧水の作り方として、明ばん、硝石、氷砂糖、硼砂を雄牛の胆汁にまぜ、二週間かき混ぜてこしたものとし、「日焼けを防ぐのに使われ、田舎に出掛けるときなどに顔につけ、夜は普通の水で洗い落とすと、過度な日焼けを取り去ることができる」と言っています。他にもさまざまな美白洗顔料やそばかす取りなど、現代からすると呪術的で信じがたい処方が残されています。

さらにメークで白くはあたりまえで、白い肌に見せるため、また皺隠しのために鉛白粉をたっぷりつけることが好まれたようです。
もうひとつ、肌を白く見せるための特異なメークが大流行します! それは、「つけぼくろ」。パッチやムーシュ(フランス語でハエの意味)と呼ばれ、もともとは歯痛を和らげるために、こめかみに膏薬をつけた黒い布を貼ったのがはじまりといわれています。それがいつしかチャームポイントを強調するおしゃれに使われるように。
白粉で真っ白な肌に、真っ黒なつけぼくろ。このコントラストが肌をより一層白く際立たせたのです。次第に、年齢、性別を問わず十数個もつけるほどにエスカレート。また、日常生活では日焼けをしないように日傘やマスクが必需品となりました。

こうしてみてみると、白肌のための手間のかかるスキンケアに色白に見せるメークの工夫、日焼け予防…と、まさに全方位美白。白い肌志向はヒートアップしていくばかりだったのです。
なぜここまで? と思いますが、 フランス宮廷文化以前、イタリア、ルネサンスの文化から受け継がれてきた「白い肌は美人の条件」という美人観。こうした文化が土台にあり、よそおいで美しさを競っていた貴族社会において、白い肌は美しさの象徴、強い憧れになっていたのではないでしょうか。 

次回は、日焼防止意識上陸?! 日本近代の美白のはじまりです。
12月12日更新、お楽しみに!

 
 

左)白粉を塗り、つけぼくろをしているのがわかる。
17世紀フランス『服装の歴史』ラシネ著 1888年
右)つけぼくろをつけるための道具一式
キューピッド花文パッチボックス/18世紀 イギリス

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