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新・日本のやさしい化粧文化史

古代、化粧のはじまりから美白ブームの平成まで、日本の化粧の歴史・文化を辿るコンテンツです。

第36回 近代化粧の進展期 大正時代−1 美しさを自己表現する化粧へ<拡がる女性のライフスタイル>

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左:化粧品ポスター。当時女性の化粧・髪型・ファッショントレンドが伝わる。トランプ柄の和装に当時流行した鏝(コテ)でウェーブをつけ耳を隠した最先端の髪型「耳隠し」の女性。/カティフード クラブ白粉本店謹製 中山太陽堂
右:白木屋(デパート)の女性店員。「職業婦人」というライフスタイルが生まれた。/「婦人画報」大正2年

大正時代は、わずか15年足らずですが、欧米の模倣からスタートした明治を引き継ぎ、昭和へと導いた時代として近代化を担った重要な時期でした。産業が発達し、人々の生活も大きく向上しています。東京の中心、丸の内地区には東京駅が完成、オフィス街が発展していきます。そして新中間層と呼ばれるサラリーマンが誕生し、大衆文化を担う主役となっていきました。

こうした中、都市部を中心に女性の社会進出が進んでいきます。女医、職員、婦人記者など知識階級の職業から、事務員、女給、デパートの店員、バスガール、電話交換手など様々な女性の職業が増え、仕事に戸外でのレジャーにと、女性が家庭から出て活動する場が広がります。
新しい生き方にチャレンジして社会に進出した女性たちは、化粧・美容、髪型やファッションをどのように表現していったのでしょうか。今回は「大正時代の女性たちと化粧文化」についてお話しましょう。

【1. 大正の都市生活と変わる化粧意識】

(1) 女性の新ライフスタイルの出現

「職業婦人」というライフスタイルを持つ女性層は経済力と社会生活を得て女性文化創出の原動力となっていきます。大正は新しい女性文化が生まれた時代です。娯楽では映画が話題となり、スター女優が誕生。消費シーンではデパートが目覚しく発展していきます。
女性たちは、洋風化粧や洋装ファッションを新しい潮流にシンクロさせて日本流にアレンジ。文化の大衆化が進んでいきます。

(2) おしゃれは、社会のマナーと個性美に

大正時代になると、様々な欧米文化は一般庶民にまで広がり、和風住宅に椅子やテーブルのある洋間を設けるなど、日本風アレンジの新スタイル「和洋折衷」が生まれています。生活スタイルの変化に伴い、女性たちのよそおいの意識も大きく変わっていきます。
服装は動きやすい洋服が受け入れられはじめ、髪型も日本髪から束髪、セットに手間のかからない洋髪、そして大正末には断髪(ショートボブ)が取り入れられます。おしゃれは、伝統的な美意識から、個性を意識した美と社会生活でのマナーとしての美の重視へと変わっていきました。

【2.大正時代の美容法】

化粧法では、手早くできて化粧崩れが気にならないメークとして、クリームの下地に粉白粉で仕上げる洋風化粧がモダンな女性たちの間でブレイクしました。美しくあるためと社会に適応するマナーとして化粧は社会人女性に必須のこととなり、化粧に機能と仕上がりが求められるようになります。そうした女性のニーズに応える数分間でできる「スピード美容」や、親しい人の集まりの場の化粧、礼装時の化粧、対人関係を円滑にするための「TPO美容」など、新時代の日本の美容が化粧品メーカーや美容家により提案されていきました。

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