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新・日本のやさしい化粧文化史

古代、化粧のはじまりから美白ブームの平成まで、日本の化粧の歴史・文化を辿るコンテンツです。

第44回 昭和時代〔戦前〕-3 自由に個性美を表現する化粧へ<メークアップ化粧法・化粧品>

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粉白粉各種/昭和期
カガシ粉白粉(カガシ化粧品本舗)/パピリオ粉白粉(伊東胡蝶園)/レート粉白粉(平尾賛平商店)/御園チタニューム粉白粉(伊東胡蝶園)/スッキリングカクテル粉白粉(三幸商舎)/カッピー粉白粉(豊香園)

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ポーラウビナ粉白粉/昭和期

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和風コンパクト
眉墨、口紅、白粉入り

昭和時代になると、「モダンガール」や「職業婦人」など、社会に出て活動するライフスタイルの女性たちが着目され、社会全体に、自由に化粧やおしゃれを楽しむ気運が盛り上がっていきます。
情報源となる美容本や雑誌記事には、女優や女性美容家による化粧方法(テクニック)の記事が増えていき、アイラッシュカーラーや睫毛墨(マスカラ)など、化粧法が紹介されますが、最先端化粧の女性たちは、まだまだ少数派でしたから、そうした化粧に触発されて新しいおしゃれをしたいと思う一般女性は着実に増えていったことでしょう。では、そんな女性たちに支持された最新の化粧とはどのようなものだったのでしょうか。今回は「昭和時代(戦前)(1927-1945)のメーク 化粧法・化粧品」についてお話しましょう。

【1.鉛白粉の終焉と白粉ラインナップ充実】

基本的なベースメークの方法は、クリームの上に白粉を塗って仕上げる大正時代の方法が継続して行なわれていましたが、実は、白粉の品質面では大きな不安を抱えていました。
それは、明治時代に社会問題になった「鉛入り白粉の中毒・鉛白問題」で、まだ完全に解決されていなかったのです。
(第31回 新・日本のやさしい化粧文化史参照)

昭和時代になって、ようやくこの問題が決着します。法律で有鉛白粉の製造は昭和9年(1934)末と決められ、昭和10年(1935)末までには製造されなくなったのです。この鉛白粉の終焉によって、白粉は真に近代化されたのです。
昭和9年(1934)に発刊された『婦人美容寶典』を見ると、「白粉で上手に化粧する心得」という記事の中に、“鉛分の有無を試す法”が次のように紹介されています。「まず、白粉を器に少し入れて溶かし、硫化アンモニアまたは硫化ソーダを加えます。黒色の硫化鉛が沈殿すれば、鉛分があるものとして見てよく、変色しなければないものとします。(中略)あまりつきのよい白粉は、鉛を含み勝ちだということも考へておく必要があると思います。鉛分のない白粉は、とかくつきの悪いものですが、化粧下によってどんなにでも上手につけることができるのです。」このように、有鉛から無鉛白粉への啓蒙は女性誌の美容記事にも取り上げられていて、一般女性層まで情報が行き渡っての有鉛白粉の終息だったことがわかります。

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レート白粉 平尾賛平商店
レート固練り白粉/レート水白粉/レート粉白粉

この時代、ベースメークに使う白粉はそれぞれの女性の肌や嗜好に合わせ、練り白粉、クリーム白粉、水白粉、粉白粉、紙白粉、コンパクト白粉、ドーラン白粉などタイプが多様に。また、白粉の色も増え、白色、肌色、ピンク色、水色、黄色、オレンジ、オークル、藤色などさまざまな色が販売されるようになっています。
美容家の芝山みよかは、“自分に合う色白粉のつくり方”(『新時代交際禮法ものしり画報』昭和6年)で、「肌色、オレンヂ、とき色、白などいろいろの色がありますから、それらの色を交ぜ合はせて自分の肌に似よつた好みの色につくつておくとよろしうございます。」とアドバイス。自分の肌に合った自然な色の白粉でメークをするようにと変わっていきます。

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タンゴドーラン(ドーラン白粉)

肌色化粧が定着していくなか、舞台用のドーラン白粉が加わり、さらに携帯に便利なコンパクト白粉の種類も増えて大流行しています。そうしたなかに、白粉、頬紅、眉墨がいっしょに入ったものも登場。現代のコスメコンパクトにも通じるような便利でトレンド感のあるコンパクトは、きっと外出先での化粧直しの際に注目を浴びたのではないでしょうか。

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