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やさしい日本髪の歴史 世界に誇る日本文化、日本髪についてのやさしい基礎講座です。

第二十一回 束髪

明治政府の主導により男性の断髪・洋装が急速に浸透していったのに対し、家中心の生活をしていた女性の洋装化はなかなか進みませんでした。しかし明治16年(1883)に鹿鳴館が建てられると、ドレスを着て舞踏会に行く必要に迫られた上流婦人の間で、日本髪を洋風にアレンジした「夜会巻き」などの髪型が見られるようになります。

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「鬘附束髪図会」楊洲周延 明治時代
着せ替え人形のように、ドレス姿に合う束髪を紹介している。

さらに明治18年(1885)に医師の渡邉鼎(かなえ)と経済記者の石川瑛作が、手入れが大変な上に不便で不経済な日本髪の廃止を訴え「婦人束髪会」を設立。替わる髪型として「束髪(そくはつ)」を提唱し、束髪の種類や結い方を錦絵にして普及を促しました。
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上げ巻
「改良束髪之図」松井栄吉 明治18年

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マガレイト
同上

束髪は水油を主に用いるため、鬢(びん)付け油を使う日本髪よりも軽い仕上がりになるのが特徴です。「上げ巻」は、日本髪と同じく鬢(びん)や髱(たぼ)をとって結い上げますが、比較的簡単に自分で結うことができ、着物にも似合うと人気を集めました。また「マガレイト」は、日本の女性の髪型に三つ編みを取り入れた、おそらく初めての髪型。リボンや花を飾るところに目新しさもあり、若い女性の憧れとなりました。
束髪は開化的な女性が進んで取り入れ、やがて東京を始めとする都市圏から全国へと広がっていきます。髪型が洋風になっていっても、服装は着物のままという女性が多く、昭和の始め頃までは和洋折衷スタイルが続きました。明治女性たちは、長い間親しんだ和装に洋装のアイテムを少しずつ取り入れながら、過渡期ならではの新しいおしゃれを楽しんでいました。

束髪はしだいにその種類を増やし、流行の髪型も登場するようになります。次回更新は12/4の予定です。どうぞお楽しみに。

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