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やさしい化粧文化史 -入門編-

多くの日本女性にとって、毎日の生活に欠かせない化粧。では、いつから私たちは化粧をはじめたのでしょうか。このコンテンツでは、古代、化粧のはじまりから現代まで、女性を魅了し続けてきた化粧の歴史をご紹介します。

第4回 もっとも古い日本の伝統化粧−お歯黒−

お歯黒ってどんなお化粧?

わたしたち現代人にとって、「真っ白に輝く歯」は美の象徴ですが、実は明治時代はじめの頃まで、 歯を真っ黒に染める化粧、「お歯黒」を美しいとする美意識を、日本人は持っていました。

お歯黒とは、歯を黒く染めることをいい、鉄漿(かね)とも書きました。鉄漿水と五倍子粉(ふしのこ)を歯に交互につけることで歯を黒く染めたのです。鉄漿水とは、酢の中に酒、米のとぎ汁、折れた釘などの鉄を溶かして作った茶褐色の液体で、たいへん悪臭がしたといいます。五倍子粉は、ヌルデ(ウルシ科の落葉小高木)にできる虫瘤(むしこぶ)を採取し、乾燥させて粉にしたものでタンニンを多く含んでいます。
鉄漿水の酢酸第一鉄と、五倍子粉のタンニン酸が結合することで黒く染まる仕組みでした。
ちなみにお歯黒には、歯を強くし、虫歯や歯槽膿漏の予防にもなるといった実用的な効果もありました。

お歯黒のはじまり


松崎天神縁起絵巻 巻五第五段十八紙/
1311年 防府天満宮蔵

では、お歯黒はいつ頃から、何のために行われるようになったのでしょうか。
はっきりとしたことはわかっていませんが、
縄文時代の古墳から発掘された人骨や埴輪に、お歯黒の形跡を見ることができます。
また、3世紀末に記された中国の『魏書』(通称:魏志倭人伝)に「黒歯国東海中に有り」と記載されており、当時すでにお歯黒が行われていたことが伺えます。
このように古代から行われていたお歯黒ですが、日本で習慣として人々が行うようになったのは、平安時代に入ってからのことと考えられます。
 
 

現在は学問の神様として知られている菅原道真。
平安時代に活躍した道真の一代記と霊験を描いた絵巻物。


平安女性にとってのお歯黒

平安時代の『源氏物語絵巻』などをみると、黒髪と白い肌のコントラストの美しさと、ふっくらとした顔に細い目、小さな口元が美しいとされていたことがわかります。
歯を黒く染めることで歯の存在を消すお歯黒は、小さな口元を強調する化粧として行われていたのです。
またこの時代のお歯黒は、成人への通過儀礼でもありました。

さらに室町時代になるとお歯黒は一般にも広がり、戦国時代には政略結婚を背景として、10歳前後の武将の息女に成人の印としてお歯黒が行われました。こうしたことから、お歯黒は少しずつ既婚女性の象徴とされていったと考えられます。

描かれた女性と男性の口元を見ると、
お歯黒化粧をしていることがわかる。

お歯黒は権威の証

一方、平安時代末期には、女性だけではなく貴族男性もお歯黒を行うようになっていきます。
さらに、武士でありながら貴族文化に傾倒した平氏の武将たちも、白粉や紅とともにお歯黒を施すことで権威を示していました。

室町時代、戦国時代の一部の武士は、戦場で破れ首を打たれた場合を想定し、敵に対して自分の身分を示し、見苦しくないようにと白粉や紅、お歯黒といった化粧を行っていたといいます。

大塔宮護良親王 出陣図/個人蔵
後醍醐天皇の皇子で鎌倉時代末期から
建武の新政の頃に鎌倉幕府倒幕に向けて活躍した人物。

女性だけでなく、男性もしていたお歯黒化粧。
次回は戦乱が終わり、独特の美意識が花開いた江戸女性たちのお歯黒化粧をご紹介します。

この出陣図からは、白粉や眉墨といった化粧を施していることがわかる。

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