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やさしい化粧文化史 -入門編-

多くの日本女性にとって、毎日の生活に欠かせない化粧。では、いつから私たちは化粧をはじめたのでしょうか。このコンテンツでは、古代、化粧のはじまりから現代まで、女性を魅了し続けてきた化粧の歴史をご紹介します。

第8回 化粧も髪型もモダンに 現代へとつながるよそおいの第一歩 〜幕末から明治時代〜

和服にも似合う最新ヘアスタイル登場!

改良束髪之図

明治時代に入って西洋化が推し進められても、一般女性のほとんどは和服を着ていました。そのため、ヘアスタイルも島田髷や丸髷といった江戸時代から続く日本髪が一般的でした。

改良束髪之図
婦人束髪会が作成した新しい髪型を推奨する錦絵。
「イギリス結び」「マガレイト」といったそれまでにない斬新な髪型が紹介されている。

しかし明治18年、日本髪は手入れが大変なうえに、不潔不経済ということから日本髪を廃止し、新しい髪型にしようという婦人束髪会が設立されます。
そこで提案された束髪(そくはつ)という髪型は、三つ編みなどをベースに、垂らしたり丸めて髷を作るなど、それまでの日本髪と比べて軽く、簡単に結えるのが特徴でした。

中でも三つ編みをベースにリボンを飾った「マガレイト」やすっきりとしたアップスタイル「あげ巻」といった髪型は、人気の髪型となりました。また、これらの新しい髪型は、なんといっても和服にも似合うということから、たちまち女性たちの間で流行しました。

ところが明治27年頃から、日清戦争による国粋主義の影響で、一時、洋風文化である束髪が影をひそめ、日本髪が再び支持されるようになります。
そして明治35年頃には、前髪を庇のように極端に張り出した「庇髪(ひさしがみ)」と呼ばれる新しい髪型が登場します。
明治時代は新しい髪型である束髪が登場しつつも、日本髪も結われていたという過渡期の時代といえます。

あげ巻

あげ巻
日本髪の鬢やたぼを取る結い方に似ていたこともあり、人気があった。

マガレイト

マガレイト
三つ編みをベースにした女学生に人気のあった髪型。

いちはやく洋装にチャレンジしたのは上流階級の女性たち

明治16年、政府は欧米に対し日本の近代化を示すため、海外からの来賓客をもてなす洋館、鹿鳴館を建設します。そこで上流階級の女性たちは、着慣れないながらも当時ヨーロッパで流行していたバッスルスタイルというドレスに身を包み、舞踏会に出席しました。日本女性にとっての洋装の始まりは、この鹿鳴館の影響が大きく関わっていたのでしょう。

(左)バッスルスタイルを着た上流階級の女性たち / 皇國美人競

しかし、こうしたドレスは、輸入品でとても高価なことから、華族や高官の夫人、令嬢といった上流階級の女性たちだけが着ることのできたスタイルでした。多くの一般女性は、和服姿がほとんどであり、日本の一般女性が洋服を着こなすようになるのは、次の時代、女性の社会進出が始まる大正時代に入ってからのことです。

政治や生活環境の変化とともに、女性たちのよそおいに変化が訪れた明治時代。日本髪と束髪、和服と洋服といった和洋2つのスタイルが混在していたことからも、それまでの価値観や美意識を急激に変えていくのはとても難しかったことが伺えます。明治時代は女性たちが戸惑いつつも、新しいよそおいに挑戦していた、現代のよそおいにつながる第一歩が踏み出された時代だったといえるでしょう。

(左)バッスルスタイルを着た上流階級の女性たち/皇國美人競
バッスルスタイルは、ウエストをしめ、スカートの後ろが大きく膨らんでいるのが特徴。

参考文献
『近代の女性美 -ハイカラモダン・化粧・髪型-』/村田孝子編著 ポーラ文化研究所
『ファッションと風俗の70年』/婦人画報社
『幕末維新・明治美人帖』/ポーラ文化研究所編 新人物往来社

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