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やさしい化粧文化史 -入門編-

多くの日本女性にとって、毎日の生活に欠かせない化粧。では、いつから私たちは化粧をはじめたのでしょうか。このコンテンツでは、古代、化粧のはじまりから現代まで、女性を魅了し続けてきた化粧の歴史をご紹介します。

第18回 主流はナチュラルメーク 〜昭和60年代、平成へ〜

好景気真っただ中からバブル崩壊へ。物質的な豊かさを謳歌していた時代から一転、社会状況も人々の価値観も大きく変化した時代でした。では、女性たちの化粧の変化を見てみましょう。

昭和60年代の化粧〜厚塗りNG、ナチュラルメーク全盛へ

昭和50年代後半から60年代、ベースメークは、立体感だけではなく、厚塗りをせず、いかに素肌っぽい質感に見せるかがポイントになっていきました。当時の女性誌を見ると「もしかして素顔!?と思わせるような薄化粧はメークの理想」「ベース作りに重点を置いた素肌美メーク」といったタイトルで特集を組み、素肌っぽい仕上げのテクニックをこぞって記載していました。

ベースメーク化粧品は当時もクリーム、ケーキ、リキッドとさまざまなタイプがありましたが、「ナチュラルな素肌作りはリキッドファンデが決め手」など、少量で伸びがよく厚塗りにならないという理由でリキッドタイプを推奨する記事が多数登場。化粧下地の上にリキッドファンデーションを薄くのばし、仕上げにパウダーを軽くはたくという手順がナチュラルなベースメーク作りにはかかせなかったようです。

太く直線的な眉にブラウンのアイシャドーが特徴/『ビューティ専科』昭和59年9月

太く直線的な眉にブラウンのアイシャドーが特徴/『ビューティ専科』昭和59年9月

ポイントメークは、ナチュラルだけど知的で大人っぽく

一方ポイントメークでは、それまでと大きく変化しているのが眉メークです。昭和40年代後半から昭和50年代前半にかけてアーチ型で細めの眉が定番でしたが、写真のように、昭和50年代後半から60年代には自然な太眉へと変化していきました。カットは最小限に、あるがままの眉ラインをいかした主張のある直線的な眉で、ペンシルタイプでべったりとラインを書くよりも、パウダータイプのアイブロー化粧品で仕上げるのが定番でした。

そしてナチュラルな肌、眉に合わせ、リップやアイメークも変わっていきます。リップは落ち着いたベージュ系が注目され、目からはつけまつ毛が取れマスカラのみに。アイシャドーも肌色になじむブラウン系が主役になります。ブラウン系の濃淡で自然な立体感を出し、当時流行していたピンクやパープルといった色物は、華やかさをプラスしたり、グレー系のアイシャドーと合わせ、知的感や大人っぽさの演出に使われていました。

平成の化粧〜メークのキーワードは「小顔」

平成に入っても女性誌には「好感度bPはやっぱり薄化粧風」「色をおさえたナチュラルメーク全盛の今」といったコピーが並び、ベースメークはなお、素肌っぽいナチュラル志向が続いていました。

一方ポイントメークは、眉メークはそれまでの直線的な眉から、再び眉山をとり眉尻にかけて細くなる山型に変化。アイシャドーは光やパール感を感じるものも流行。リップははっきりして落ち着いた色味が再び登場してきます。こうしたポイントメークの変化は小顔がキーワードになっていました。

(右) 直線的な太眉から再び山型の眉へ/『Coffret』平成5年3月

直線的な太眉から再び山型の眉へ/『Coffret』平成5年3月

小顔をつくるテクニックあれこれ

女性誌の特集を見ても「日本人顔を小さく見せる30の方法」「顔を小さくすっきりみせるヘア&メーク」といったメーク特集を組み、さまざまなテクニックを紹介。目と口の印象を強めて顔を小さく見せるため、下まつ毛の内側に白いラインを入れて白目を大きく見せる、目の周りにハイライトを入れる、濃い目のリップをくっきりと付けるなどのメークが流行。眉、目、唇のどこを強調するか、バランスをとりながら小顔を演出していました。

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