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ふしぎな化粧 世界にあったこんな化粧

眉作り

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変身という楽しみ

ヘアサロンに行ってヘアスタイル雑誌をパラパラ。美容師さんと相談しながら髪型を考えるのって楽しいものです。思いきって髪をバッサリ、ヘアスタイルを変えてイメージチェンジすれば、ちょっとした変身願望もかないます。
実は、ほかにも簡単に変身できるところがあります。それは形や太さ、色を自在に変えられる眉。辛口眉それともふんわり眉?今までと違う印象にチャレンジしてみます?

古事記の時代から

今ではあたりまえの眉化粧ですが、いつ頃から行われていたかはわかっていません。『古事記』に「眉書き濃に書き垂れ…」(眉は濃く尻下がりに書いた)とあるので、古代から眉化粧は行われていたと考えられます。
飛鳥・奈良時代には、中国から伝わった化粧法の影響を受けて、白粉化粧や眉化粧が貴族階級で行われていたのは明らかになっています。蛾眉(がび)や柳眉(りゅうび)という言葉が美人の眉の表現として残っています。

謎の独創性

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三十六歌仙扁額
上:「中納言敦忠」 下:「三条院女蔵人左近」
狩野探幽/静岡浅間神社蔵

平安時代に遣唐使が廃止され、大陸文化の影響は薄れ国風文化が育まれていきます。眉化粧も唐風の眉を形づくる化粧から、眉毛を抜いて本来の位置より上に別の眉を描き作るという日本独自の眉化粧へと変わっていきました。平安時代末期の頃になると公家や武士の男性も化粧をするようになっていきます。当時の眉化粧は権威の象徴、身分や階級を示すものであったと考えられています。全く別に眉を描いてしまう眉化粧がどうして生まれ、なぜ好まれたのかは謎です。ふっくらした顔が好まれたので眉を上の方に描いて柔らかい印象にしたのでは、などといろいろな説がありますがはっきりしません。この眉化粧は江戸時代まで公家や武家といった一定の階級で慣習として行われ続けていました。

美しさを超える

白粉だって紅だって、化粧は本来の顔のパーツをきれいに見せるためにすること。でも平安時代にはじまった眉化粧は本来の眉をなくしてしまうという全く違う発想。その上ありえない場所に眉を描くって今の感覚ではもはや普通の人ではなくなってしまうような、美しさを超越した変身メークです。貴さとは、美しさを超えたもの…。
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